慎一の青春其の一
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敗戦後職場に戻った父だったが、社長の息子が特攻隊で死んだため解散となり、父は建築部門を請け負って独立した。払い下げのトラックで父は奮闘した。 慎一はリヤカーで近隣の小口配達をさせられた。その疲労から高校3年の時当時亡国病と言われた結核に罹り 父は治療代を稼ぐ為に夜も働かねばならなくなった。見かねた慎一は福祉事務所へ行き医療保護を受け千葉の療養所に卒業後入所した。入所待機者が巷に溢れ困った厚生省は回復率50パーセントの外科手術により病床の空室の確保を図ったが、早く社会復帰を望む若者は手術を希望したがばたばたしんでいった。恐れを成した慎一は帰れば父も倒れてしまうし手術では生きる保証もないので万事窮してしまったが 母親の元に通ってくる天道教の婆さんに入信を願い出た。秋も終わりの日曜日所内で慰安の映画が上映される夜、身の回りを鞄に詰め療養所を脱走して新天地の名古屋に向かった。
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国分寺市立いずみホール、劇団民芸俳優、内田博司第一回プロジュース
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