『凍て月』
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二〇一五年、八月二三日。「シベリア抑留研究会・企画展」会場。責任者の北山大学の北川教授に招かれ、会場を訪れた元シベリア抑留者で、「抑留者の会」の代表である車椅子に座る加藤芳雄とヘルパーの橘容子。
と、展示物の中の一枚のパネル。報道写真。そこには加藤がかつて暮らした収容所(ラーゲリ)の仲間。恋心を抱いていたカザフスタン在住のロシアの娘、カーチャの姿が写っていた。
終戦後の三年間シベリアにて抑留生活を送った芳雄の胸に様々な思いが去来する。厳寒下での強制労働。飢えと寒さで衰弱し、故郷の月を見たいと願いながら死んでいった同郷の友、田中三吉や、恩人菊池との思い出。終戦直後、混乱を極めた満州での出来事。
帰還を果たしてからも、激動の時代を生き抜いてきた芳雄。真面目に懸命に働いてきたが、不慮の事故で息子夫婦を失い、孫の俊を引き取り、妻俊子と共に育ててきた。その後、今度は俊子が進行性の癌に罹り、あっけなく逝ってしまった。
年月は過ぎ、現在の加藤家は高齢となった芳雄と独身の俊の二人暮らし。そこに定期的にサポート役の橘が訪問するという日常。
孫の俊は食品製造会社の派遣社員だ。外国人労働者が多い職場を取りまとめ役としてチーフという立場になってはいるが、賃金的に優遇されるわけではなく、深夜勤務が多い上、スタッフ同士のいざこざが絶えずストレスは溜まりっぱなし。割にあわない仕事だとは感じているが、大ごとにするのも面倒で、文句も言わずに日々淡々と仕事している。
両親の死後、幼い自分を引き取り育ててくれたこと、たった一人で「抑留者の会」を立ち上げ、活動している祖父のことは尊敬しているが、特別に自分から何かするつもりはない。祖父の過去について自分は何も知らされていないし、そのことについて違和感がないわけでもなかったが、祖父自身が語りたくないのだからしょうがない、自分は祖父の意志を尊重しているだけ、というのが俊の考えだった。
ある日、俊の職場でまたトラブルが起きた。古参スタッフが事あるごとに仕掛けるあからさまな新人イジメ。見過ごせなくなった俊は、巻き込まれる形で社内規定を破り、結果、解雇処分を受けてしまう。
過日。普段どおりの俊と芳雄の会話。何気ないやり取りの中に、お互いに今まで語らなかった思いが溢れ出す瞬間が。さらに数日後、芳雄のことを慕う橘より、抑留者の会の手伝いたいとの申し出があった。
二〇一七年、八月二三日。独裁者スターリンが秘密指令を発した日にちなみ、「企画展」が開催された。抑留問題を研究している北川や、ロシアの大学講師ターニャなど、支援者が見守るなか、語り手として登壇する芳雄。託された「名もなき者たち」の思いを伝えるため、彼は今日も語り続ける。その傍らには、継承者となった俊、橘の姿も。 -
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