珈琲法要
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文化四年(一八〇七年)。蝦夷(今の北海道)でロシアによる侵略が相次いだ。幕府は北国だからという理由で、東北諸藩に蝦夷地北方警備を命じた。 津軽藩は斜里に一〇〇人ほどを派兵。武士だけでなく大工や鳶、百姓も多数いた。その中には斉藤文吉と藤崎村の忠助の姿もあった。身分も年齢も違う二人だったが、なぜかお互い気があった。文吉は、斜里での生活を日記に克明に記録していた。 雪国育ちとはいえ、生まれて初めて見る流氷、想像を絶する寒さ。ロシアの赤人(あかびと・ロシア兵の呼称)が、いつ襲ってくるか分からない。文吉、忠助ら津軽藩兵は寒さと恐怖に震える日々だった。 その頃、手足が白く大きくムクむという正体不明の病が流行り、死亡者が続出。半数以上が病に倒れたので、弁慶と呼ばれるアイヌの女性をお手伝いに雇った。
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