高山晴子は乳癌の手術を受けた後、夫の健一を説得して、二人で海辺の貸別荘へ転地療養に来ていた。しかし貸別荘の経営者は、健一が学生時代に愛していた館山里子であることを隠していた。健一と里子は同じサークルの「サルトル研究会」に入っていたのだ。二日 ...
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1971年2月 日本大学芸術学部演劇学科卒業
3月 岩波ホールに演劇担当として入社
1972年3月 戯曲第1作「不連続線」を演出、岩波ホールで上演
1976年5月 岩波ホール演劇シリーズ第2回公演、武智鐵二演出「東海道四谷怪
談」で制作助手・舞台監督。
1978年5月 岩波ホール演劇シリーズ第3回公演、鈴木忠志演出「バッコスの
信女」で舞台監督。
1981年3月 戯曲第2作「摩訶芬陀利華」で第5回文化庁舞台解術創作奨励賞・ 佳作を受賞。
1990年3月 岩波ホール劇場部長・制作担当となる。
1993年3月 岩波ホールを退社、4月に演劇の企画・制作を教務とする「アト リエ・シマダ」を設立、主宰する。
1995年8月 アトリエ・シマダ第1回公演「白い地図」(作・島田三樹彦 演出・松本修)をザ・スズナリで上演。
1996年10月 アトリエメシマダ第2回公演「久保忠吉・一人芝居『ルール』(作・演出/島田三樹彦)をこまば・アゴラ劇場で上演。
1998年1月 アトリエ・シマダ第3回公演「砂の時間」(作・演出/島田三樹彦)をシアタートラムで上演。
1999年11月 市原悦子・主演「ブラック・ビューティー」(作・島田三樹彦
演出・塩見哲)を新宿スペース・ゼロで上演。
2002年7月 市原悦子・主演「おかめの愛はケッパッパ」(作・島田三樹彦/
演出・塩見哲)をリリオ・ホール(かめあり)他全国7カ所で上演。
以後、経済的理由で活動を休止。